上の写真は、谷川岳トマの耳に向かう途中、肩の小屋を過ぎて天神平方面を振り返った時、登山道脇に咲いていたピンク色濃淡の美しい石楠花と天神尾根です。
谷川岳は、気象の厳しさから、標高1,500m付近が森林限界となり、その上からは笹原が広がり視界が開けます。このため、比較的低い標高(特に稜線付近)でも高山植物が観察できます。イワウチワ、カタクリ、ショウジョウバカマなどが可憐な花を咲かせていました。谷川岳といえば、遭難事故を思い浮かべますが、遭難事故の多くは一般登山道から離れた一ノ倉沢周辺で発生しています。ただ、最も登りやすいとされる天神尾根ルートでも急激な気象の変化や、砂利や岩による急斜面の続く箇所があり、本格的な登山となるため装備を整えてから挑む必要があります。
下の写真は、一ノ倉沢です。一ノ倉沢は、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて中央分水嶺のために天候の変化も激しく遭難者の数は群を抜いて多いところです。遭難者の多くは一ノ倉沢などの岩壁からの登頂によるもので一般的なルート(天神尾根)は殆ど危険な個所はなく、遭難者も少ないようです。
谷川岳遭難事故記録によると、一ノ倉沢では、統計が開始された1931年(昭和6年)から2012年(平成24年)までに、805名の死者が出ていて(ちなみに8000メートル峰14座の死者を合計しても637名)、この飛び抜けた数は日本のみならず世界の山のワースト記録としてギネス認定されています。
1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともあった(谷川岳宙吊り遺体収容)そうです。
こうしたところから、谷川岳は「魔の山」「人喰い山」「死の山」とも呼ばれ、遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されています。